つくられてゆく世界は複雑で、脆く、儚い。子供たちがつくりあげた箱の中の「自然」を、私は記録し、「人工」的に絵画にした。 我々が見ている世界は誰がつくった世界なのか。目の前で生まれていく景色は、誰につくられて、誰がつくろうとしているのか。クリエイションは誰のものなのか問うプロジェクトである。
画家は油絵を制作する際にパレットを使用する。使用したパレットと、そのパレットを再現した絵画を「対」として、作品としている。再現しようとする際に、また他に新たなパレットを準備し制作することとなる。そして、作品を制作したのちのパレットが次のモチーフとなり永遠と続く構造がここに発生する。
左側は現実にそこに存在し貼り付けられている「実像」で、右側は忠実に再現しようとした油彩による「虚像」である。おそらく時間の経過とともに左側のコラージュした素材たちは色褪せることもあるだろう、黄変し劣化し元あった形ではなくなってしまう。一方で「虚像」であった油絵はかつてあった「実像」よりも色鮮やかに残り続ける。
おさがりで貰った塗装の剥げたミニカー、お気に入りのフィギュア、なかなか手に入らないキラキラのカード、旅行先で拾った綺麗な小石、どこかのお土産として買ってもらったキーホルダー。
縁起物、信仰物など象徴的な記号性をもつモチーフを「花柄」の模様の中に隠している。一見すると何が埋まっているか分からない。しかし、それらの記号をいまいちど見いだすこと、見いだす意味について問う。
社会では様々な境界線がある。枠から超えること、その枠の中に埋もれること。埋れて見える景色、枠を超えているから見える景色。
コラージュしたものと実寸サイズでさまざな描画方法でその存在を確かめる。モチーフを並列に置き、描き、問い続けるという構造は「Mirror」「Idolization」シリーズに発展する。
世界の回文を参考にタイトルにする。そのタイトルに合うようにモチーフを配置構成し、万華鏡のような世界を構築する。